キューバ旅行記2018

2018年の8月から9月にかけて、3度目となるキューバ旅行をしてきた。今回も制作が目的の一人旅で、あまり観光はしていない。滞在は10泊11日。前回・前々回と同様、ハバナとトリニダーのほか、今回は東にあるサンティアゴ・デ・クーバというキューバ第2の街と、ゲバラの墓があるサンタ・クララにも滞在した。

1日目 ハバナ着。昨年より涼しい?それでも圧倒的な湿気・匂い・音・人いきれ

持ち物は画材、着替え少々(Tシャツや短パンなど最小限。いずれも速乾性素材のもの)、タオル類、Tevaのハリケーンサンダル、スマホや充電器・モバイルバッテリー、経口補水液のパウダー、害虫対策のいなくなるスプレーなど。すべてバックパックに詰めて10kgほど。

画材はいつもどおり、透明水彩・水彩紙4冊・紙パレット・筆洗器・筆・ペン各色・コンテパステル数種・ボロ布・カッターナイフ・クリップ・テープ・折りたたみ椅子。椅子は今回はじめて持っていったが、非常に重宝した。

 

フライトは滞在先のパリから。ドゴール空港からはハバナ行きのエールフランス直行便が一日2便飛んでいる。チケット代も6万円をきっていた。時差はキューバがフランスより6時間、日本より13時間遅れている。

 

機内では「シェイプ・オブ・ウォーター」などを観る。飛行時間は9時間半。夕方5時過ぎにハバナのホセ・マルティ空港に到着。キューバでは入国するときにも荷物検査がある。空港職員もダメージデニムやミニスカートに柄タイツだったりと様々。お国柄があらわれている。

 

空港の両替所で100ユーロをCUC(外国人向け通貨)に両替し、さらにその中から20CUCを2階の両替所でCUP(人民ペソ)に替えてもらう。なにをするのにも行列ができるのがキューバ。焦らずのんびり待つのもキューバ。その後TAXIで宿のあるハバナ旧市街ビエハ地区へ向かった。

 

ハバナでの滞在先は旧市街ビエハ地区にあるイリアナのアパート(Ileana’s House。写真右2階)。すっかり気に入って、毎回ここに泊まっている。エアコンも冷蔵庫もついていて一泊15CUC(1,700円ほど)。今回もAirbnb経由で予約した。キューバではホテル以外にカーサ・パルティクル(個人の家)という民泊システムが広まっていて、外貨獲得の手段となっている。室内は広く、バルコニーからは通りが見下ろせる。

 

 イリアナにお土産(本人希望の仏製エイジングケアクリーム)を渡し、少し話したあと外出する。前年ほどの猛暑ではないが、街は相変わらずの湿気と立ち込める異臭、人々の喧騒やスピーカーから流れるレゲトンの轟音などで溢れている。3度目の訪問で少し慣れてきたが、いままで滞在していたフランスとはなんという違いだろう。

 

夜8時を過ぎたので、CASAのほうまで戻る。近くのカフェテリア「El Cubanito」で食事や買い出し。昨年もよく訪れていたので店主は憶えていてくれ、少し話をする。「知り合いが言っていたが日本人はアヒルをそのまま食べるって本当か?」そんな話は聞いたことがない。

 

ポークソテーに豆のスープ、アボカド・焼きバナナ・サラダとライス。250円ほど。ここは量が多くてかなり満腹になる。ビールはドミニカのPresidente。ピルスナータイプだ。ほかにミネラルウォーター数本を買いだして、CASAに戻る。

 

街はすっかり夜の姿だ。ハバナは街灯の数が少なくかなり暗いが、それでも路上にあふれる人々の数はあまり減ることがない。

 

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2日目 マレコン・セントロ・アバーナ・中華街散策 − 夜行バスでサンティアゴへ

昨晩は夜10時ころ眠ったので、朝は6時過ぎに目覚める。蚊がいなくなるスプレーの効果もバッチリで刺されたりもしなかった。シャワーと洗濯を済ませる。速乾性素材のTシャツばかり持ってきたので、乾きも上々だ。キューバの8月9月は湿気が多く、コットン素材は乾きにくくて昨年は難儀した。画材を持って7時頃マレコン通りのほうへ出かけることにする。

 

街の北、外海に面しているマレコン通り。実はマレコン通りはまだ訪れたことがなく、まず最初に来たかった場所。釣りをしていたり潜って何かを獲っていたり、また楽器を練習していたりする人などがいる。水彩を2点描く。

 

マレコン通りからカピトリオ(国会議事堂)方面へ歩く。途中にあるカフェテリアでハムチーズサンドを買って食べる。庶民の台所のような店。サンドイッチは30円ほどで、味はいたって普通。

 

途中、クリスト広場(Parque Cristo)でネットにアクセス。キューバではWi-Fiに繋げるためには専用のカードを購入し、そこに記載されているユーザー名とパスワードを打ち込む必要がある。一般家庭にネット回線はほとんど引かれていないため、これは旅行者だけではなく地元の人も同じ。1時間用カードが1cucで売られているが長時間並ばなければいけないので、声をかけてくるダフ屋から倍額で購入した。ついでにスマホをいじっているひとをスケッチ。

 

しばらく歩き、カピトリオ後方にあるチャイナタウンで昼食をとることにする。といっても全部で20メートルほどの小さな中華街だ。天壇飯店という店で餃子とライス。ライスはちょっとあれだったが、水餃子は実に本格的。クバーナ(キューバ女性)のチャイナドレス姿も馴染んでいる。

 

そのまま北上し、セントロ・アバーナ地区のエスコバル通りで水彩を描く。ビエハ地区より道幅がかなり広く、そのぶん人通りも多い。このあたりは似たような通りがたくさんあるが、この道は少し下っていて、遠くに海も見える。

 

近くで見つけたジュースの店。青果店にくっついていてしかも行列が出来ているから間違いないと思って頼んでみたら大当たりだった。Batidosというシェイクがメインで、味はメロン、マンゴー、パイナップルなど。1杯40円〜60円ほどだ。Googleマップで印をつけておき、滞在中に何回も通った。

 

「El Cubanito」で夕食をとったあと、夜10時発の夜行バスでサンティアゴ・デ・クーバに向かうため、長距離バスの乗り場まで流しのタクシーをつかまえる。運転手は今から帰宅するつもりらしかったが、バスステーションは自宅の方向らしく乗せてくれる。自分の娘も乗るがいいか?と訊くのでOKと答えると、少し走ってから大学生くらいの娘を拾って、一緒にバスステーションまで向かった。

 

今回も乗るのはキューバの主要都市を結んでいるviazulという長距離バスだ。事前にwebから予約・支払いを済ませておいたので、昨年のようにチケットを買うためだけに何時間も使わなくて済む。あらかじめプリントアウトしておいた予約画面を受付で提示すると、あっさりチェックイン出来た。

 

ハバナからサンティアゴ・デ・クーバまでは14時間かかる。バスは朝昼晩と一日3便走っているが、夜便にした理由はせっかくの昼間をバスに乗って何時間も過ごしてしまうのはもったいないから。いつもは外国の観光客でいっぱいの待合室も、夜行のせいかキューバ人が多い。

 

直行便ではないので、途中にサンタ・クララやサンクティ・スピリトゥスなどの街に立ち寄り、そのたびに何人かが降りて何人かが乗ってくる。真夜中を過ぎていてもバスターミナルはどこかに向かう人々でいっぱいだ。写真は夜中4時のシエゴ・デ・アビラ。

 

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3日目 サンティアゴ・デ・クーバに到着。坂が多く魅力的な街。ソンのライヴも

予定より少し遅れて、午後1時過ぎにようやくサンティアゴ・デ・クーバに到着。14時間以上のバス旅。もう少し早くて楽な移動手段があれば言うことないのだが、飛行機は飛んだり飛ばなかったりらしいし、電車は同じくらいの時間がかかるとのことなので、結局このバスしか選択肢がない。

 

バスを降り、預けたバックパックを受け取ると、まずは宿に向かうことに。サンティアゴ・デ・クーバでは2泊3日のスケジュールで、宿泊先はハバナと同じくカーサ・パルティクル(民泊)だ。バスステーションを出ると嵐のようなカーサやタクシーの勧誘に囲まれるが、振り切って歩き出す。見るとviazulのバスステーションの隣には鉄道の大きな駅があった。

 

Googleマップを頼りに宿(Casa Jorge Garcia Pi)まで向かう。歩いて30分ほどだ。ここもAirbnbで探して予約しておいたところで、街の中心部セスペデス公園まで1分の好位置にある。しかしチャイムを鳴らして扉を開けてもらい、予約していた旨を伝えても向こうはきょとんとしている。どうやら家主であるネルソン氏は1年ほど前からマイアミに行ってしまっており、カーサ業は自分の両親に任せっきりらしい。ご両親はネットで予約が入っていることなどは知らなかっというわけだ。まあ問題なく滞在できるのでいいだろう。レビューでバルコニーからの眺めが良さそうなのでここに決めたが、実際に良かった。

 

使わせてもらう部屋は突き当りの右手奥。その都度チャイムを鳴らしてドアを開けてもらい、ご家族がいるサロンを通らなくてはならないので少し面倒だが、12cuc(1,300円)と格安だし家主さんは親切そうな人達なので良しとする。ちょうど「おしん」を放送していて皆さんで観ているところだった。「おしん」がキューバで未だに人気だという噂は本当だった。写真はお父さんのホルヘにパスポートやビザを提示してチェックインしているところ。

 

シャワーを浴びてTシャツを洗濯する。水圧が低いので時間がかかるが、キューバのCASAのシャワーは大体こんなもののようだ。その後画材を持って外に出る。サンティアゴ・デ・クーバは坂が多く起伏に富んでいる。ハバナのように大きな通りや背の高い建物は少ないが、絵の題材として魅力的だ。

 

パイナップルヘアーのマルロという男(自称ガイド)が話しかけてきたので、しばらく一緒に歩きながらサンティアゴ・デ・クーバの名所などを説明してもらう。モヒートを飲もうというので(当然こちらのおごり。たまにはこういうのも良いだろう)、テラスのあるレストランで乾杯。しばらく話をしたあと彼とは別れ、パードレ・ピコという階段から水彩を数点描く。

 

夕方6時を過ぎ暗くなってきたので、セスペデス公園近くの「El Holandes」でガーリックチキンソテーを食べ、水などを買って一旦CASAに戻る。シャワーを浴びて夜8時半に再び街へ。写真のホセ・アントニオ・サコ通りは歩行者天国で、両側には店がいっぱい。いつも大勢の人々で賑わっている。そういえばハバナと違って外国人旅行者の姿はそれほど見かけない。

 

CASA近くのカフェテリア。キューバでは暑いのでよくビールを飲むことになるが、このCaribbeanはサンティアゴ・デ・クーバで作られているもので、他のキューバ産のCRISTALやBucaneroの約半額(10ペソ約40円)だった。

 

夜10時を回ったので、キューバ音楽のライヴを観るため、有名な「Casa de la Trova」へ。キューバン・ソンの殿堂。コンパイ・セグンドやエリアーデス・オチョーアもここから巣立った。この晩はECOS del TIVOLIというバンドの演奏が聴けた。

 

バンドは7人編成+ゲストヴォーカル。演奏はオーセンティックなソンだ。CDや音楽配信サービスで彼らのアルバムを何枚か聴くことができる。夜中0時過ぎまで演奏は続く。数枚スケッチして、CASAに戻ることにした。

 

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4日目 サンティアゴ・デ・クーバ2日目。晴れたり降ったり。夜は路上イベント

CASAのお母さんのロルデスが朝食を作ってくれる。パン・ソーセージ・卵焼き・マンゴーとパパイヤ・バナナ・コーヒーなど。美味である。若い女性が5歳位の娘を世話しているので、すっかりネルソンの奥さんだと思っていたら妹さんだった。ネルソンは離婚して、娘を置いてマイアミに行ってしまったらしい。キューバの離婚率はそうとう高いらしい。

 

お願いしてバルコニーから水彩を描かせてもらう。朝はすっきりと晴れて、遠くシエラ・マエストラの山々もはっきりと見える。約60年前、革命のためキューバに上陸したカストロやゲバラたちは、この山中に潜みゲリラ活動を行った。右手に見えるのはサン・フランシスコ教会。

 

屋上にあがり、画材類を落とさないよう気をつけながらサンティアゴ湾や道を描く。今までキューバで滞在した建物はすべて屋上に出ることが出来た。

 

制作をしているとあっという間に時間が過ぎてしまう。正午を回ったので、街なかに出て少し散策する。ホセ・アントニオ・サコ通りのピザ屋でハムチーズピザを注文。キューバのピザ屋はいつも普通の家の玄関が厨房だ。

 

サンティアゴ・デ・クーバではやたらとチュロス屋を目にする。日本ではまず食べないものだが、せっかくなので頼んでみることにした。バニラ味のクリームを、チクワ状の形をした揚げパンの中に目一杯入れてくれる。味は・・とにかく甘い。

 

はっきりしない空模様だったがとうとう降り始めたので、一旦CASAに戻りシャワーと洗濯。その後1時間ほどで雨は上がったので再び外出。やはりサンティアゴ・デ・クーバは坂が魅力的だ。ジェネラル・ポルトゥオンド通りからの眺め。

 

同じ場所でずっと描いているといつの間にか暗くなってきて街灯も点きはじめた。夜7時を過ぎている。サンティアゴ湾の上には夕焼けもできている。

 

夕食を食べようとセスペデス公園のほうまで戻ると、通りから大音量で音楽が聞こえてくる。どうやら路上カラオケ大会や路上ダンスショー、路上ファッションショーが開かれているようだ。観光客向けではなく完全ローカルなイベントだが、なかなか面白くてしばらく観ていた。カラオケもダンスも上手い!

 

ファッションショー。路上がランウェイ。MCがどこから来た?と話しかけてきたので、「日本だ」と答えると、すかさず「今晩はハポンからもはるばるお客が来てるよ〜!イエーイ!」。イベントを盛り上げようと必死な様子が可笑しい。

 

最後はルンバ系バンドのライヴ。ルンバとはキューバで生まれた、歌と打楽器のみで構成された音楽。数あるキューバ音楽のなかでももっともアフリカ要素が強い。サンティアゴ・デ・クーバはアフロ・キューバン文化が盛んな街で、路上でルンバが演奏されるのも自然なことなのかもしれない。演奏はキレがあって文句なしにカッコ良かった。曲の終わりは人力フェードアウト。

 

近くでも演奏やっているよと教えてもらい、ホセ・アントニオ・サコ通りを登っていく。途中右手に入場無料の屋外ステージがあって、ソンのお爺ちゃんグループが演奏していた。確かセプテート・サンティアゲーロ。先ほどの鋭いルンバに比べると、どこかホッとする音楽だ。

 

あまり観衆は来ていないが、何人かは踊っている。子供のダンスの上手いこと!自然と身体が動くのだろう・・しばらくいたが、夜も更けてきたのでCASAに戻ることにする。

 

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5日目 サンティアゴ最終日。フィデルの墓、エル・コブレ。夜サンタ・クララへ

早いものでサンティアゴ・デ・クーバ滞在も最終日。この夜のバスでキューバ中部にあるサンタ・クララに移動することになっている。時間を無駄には出来ないので、朝は6時半ころ起きて朝食をいただき、さっそく外へと出かけることにした。

 

まず向かったのは、サンタ・イフィゲニア墓地。CASAからは北西に40分ほど歩く。たどり着いた時、ちょうどドローンを飛ばしてテレビ番組の撮影をしており、入園まで30分ほど待たされた。その間に衛兵が揃って行進する様子を見たりする。正面に見えるひときわ大きなモニュメントは、キューバ独立の父、ホセ・マルティの墓。

 

訪問の目的のひとつが、2016年に死去したフィデル・カストロの墓に参ること。控えめな墓標にはシンプルに「フィデル」とのみ記されている。カストロは40年以上キューバの国家元首を務めたが、自身の銅像や肖像はいっさい作らせなかった。この日は日曜日だったせいか、多くのキューバ人が赤いバラを手に墓参りをしていた。

 

同じ敷地内にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにも出演していた歌手コンパイ・セグンドの墓もある。ギターと帽子、そして95歳で死去した彼にちなんで95個の花が墓標にあしらわれていた。

 

墓参りを終えたあと、戻る途中の駅の周辺でタクシーを拾い、エル・コブレの村まで行ってもらうよう交渉する。往復+現地で1時間待機で25cuc(3,000円)。オンボロタクシーは古いプジョーだが、エンジンは三菱製に替えたとのことだ。「ミツビシ、ベリーベリーグッド!」

 

ヘミングウェイの「老人と海」にも出てくるエル・コブレの村はサンティアゴ・デ・クーバから20キロほどの距離にある。キューバの守護神である褐色の聖母像が安置されており、聖地とされている。日曜日でミサの最中だったこともあり、大勢の人々が訪れていた。また道すがらヒマワリが売られていたが、ここではヒマワリを手に参拝する習慣があるらしい。

 

カトリックではないので来訪の目的は礼拝ではなく、もちろん制作。少し下がったところにある村の路地から教会を見上げながら描く。目ざとく子どもたちが「ピントール!ピントール!(スペイン語で画家のこと)」と騒ぎながら集まってきて、結局大勢に取り囲まれてしまった。キューバでは地面に道具を広げて描きはじめると、はじめは見て見ぬふりでそれほど近寄ってはこないが、誰か一人でも話しかけ始めると、待っていたかのように他の人々も一斉に集まってくることが多い気がする。

 

待たせていたタクシーと合流し、サンティアゴに戻る。セスペデス公園で降ろしてもらい、ホセ・アントニオ・サコ通りで立ち食いピザ、さらに進んでマルテ広場でフライドチキンと揚げバナナを食べる。見ていると揚げバナナ用には普通のものではなく、先が尖ったタイプの緑色の皮をしたものが使われている。食感はポテトに近い。おかわりを頼んでいる人が多いので、バナナはおかわりが出来るのかもしれない。マルテ広場は屋台が立ち並んでいて賑やかな場所だ。

 

マルテ広場から10分ほど歩くとモンカダ兵営の跡地にでる。1953年7月26日に若きフィデル・カストロたちはここを奇襲するが結果は惨憺たるもので、同志たちは囚われたり殺害されたりする。しかしこれが契機となり後の革命へとつながっていく。壁には当時の弾痕が今も残されているが、現在は学校として利用されているようだ。

 

モンカダ兵営を後にして、サン・フランシスコ通りから教会とサンティアゴ湾を描く。すると隣家から高校生くらいの少年がなにかをしきりと言ってくるので、アプリで翻訳してみると「衝突」。確かにそこは電柱が折れていたりしていて、車がよくぶつかる場所なのだろう。注意に感謝の言葉を伝え、少し場所を移動して続きを描く。しばらくすると今度は10メートルほど向こうから今度は「来い、来い!」とやたらと手招きする男がいる。どうやら「うちの屋上からの眺めは最高だからそこで描け!」ということらしい。

 

お言葉に甘えて家に上がらせてもらうことにする。中は工事の最中で、どうやら旅行者向けのカーサ・パルティクルにするため大幅改装中らしい。屋上ではパラソルまでセットしてもらい、好きなだけいて描いていいとのことだった。確かに眺めは最高に良い。男は同世代で、名前はダニエル。日本人はインテリジェンスな国民だという。

 

1時間半ほどお邪魔して水彩を数点描く。水やマンゴージュースまで振るまっていただき感謝だ。ダニエルの現在の奥さんとその娘さんと最後に記念撮影。娘はスマホの扱いに長けていて、こちらのスマホを手早くいじりながらあっという間にBluetooth共有で写真をシェアしてしまう。このあたりの世代感覚は世界共通で、キューバだから遅れているとか、そういうことは全くないようだ。

 

ダニエル達にお礼を言って、いったんCASAに戻る。夕方5時前なので9時間近く出歩きっぱなしだったことになる。宿の人たちも驚いた様子だった。シャワーを浴びたあと近場をスケッチし、軽く食事。次の目的地、サンタ・クララ行きの夜行バスは夜8時発なので、7時前にCASAに戻り荷造りと退去の準備。宿のホルヘとロルデスに挨拶をしてviazulのバスターミナルまで歩く。バスは定刻通り出発した。

 

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6日目 サンタ・クララのゲバラ霊廟→トリニダーへ。いつもの宿、いつもの渓谷

サンティアゴ・デ・クーバからサンタ・クララまでは12時間。車窓からは似たような景色が続くが不思議と見飽きない。植物で一番目につくのはやはりヤシの木。キューバで一番多い種類はロイヤルパームツリーだろうか。背が高く、幹は凸凹の少ないグレー。先端は緑色でするどく尖っている。放牧されている動物では牛と馬の姿をよく見かける。

 

午前8時過ぎにサンタ・クララに到着。10時半には同じバスステーションから今度はトリニダーに向けて出発なので、サンタ・クララには2時間ちょっとの滞在だ。その間viazulの預け荷物カウンターでバックパックを預かってもらうよう頼み、身軽な格好で街を歩くことにする。

 

サンタ・クララでの滞在時間は僅かなので、行くと決めてある場所はひとつだけ。チェ・ゲバラの墓だ。1967年に銃殺されたゲバラの遺骸は30年間ボリビアの土中に埋まられたままになっていたが、1997年に掘り起こされ、ここサンタ・クララに埋葬された。

 

ゲバラ率いる部隊がサンタ・クララを開放したとき、彼は左腕を骨折しており恋人のスカーフで吊っていた。銅像でもその様子が再現されている。スケッチを数点。

 

目的も果たしたので、トリニダー行きのバスに乗るためviazulのバスステーションまで戻る。カフェテリアでハムメンチサンド。ピリ辛のハバネロソースをかけて食べる。ここのは美味しかった。

 

バスステーションにはローカル線も乗り入れているので、待合室は人でいっぱいだ。待っている間公衆トイレで石鹸を借りて洗顔する。キューバでは多くの公衆トイレは有料で、1ペソ(4円)を係の人に渡す必要がある。

 

サンタ・クララからトリニダーへは約3時間の道のり。この町に来るのも3回目だ。バスを降りてバックパックを受け取り、出口のほうへ歩きだすと、大声で「マリオ!マリオ!」と呼ぶ声がする。前回も前々回も泊まったCASAのオーナーのスレイカだ。いつもこの町には宿を予約しないで来るのだが、なぜか必ずスレイカのCASAに泊まることになる。しかしこういう時はマリオというラテン系の名前で良かったなと思う。

 

バスステーションからCASAまでは10分ほど。スレイカと道中、「バスから出てくるマリオの姿が見えたから思わず大声で呼んだよ」「また来たよ、3回目だよ」などと話しながら歩く。トリニダーは町も小ぢんまりとしていてどこか安心できるところだ。ピンクの建物がスレイカのCASA。1階に家族が住んでおり、2階が宿泊スペースだ。他にも姉妹のマルガリータやお父さんのトマなども憶えていてくれ、歓待してくれる。

 

スレイカのCASAは町の北のほうにある。玄関を出て右側、南に行くと町の中心部で旅行者の姿も多いが、左に向かうと完全に地元民のみのローカルなエリアだ。犬・馬・ニワトリが人間に混じって道をうろついている。

 

さらに北のほう、町外れからは世界遺産、ロス・インヘニオス渓谷を見渡せるポイントがある。白い道が中央をカーブしながら伸びていて、遠くには山脈が見える。今から100年ほど前までここはキューバの砂糖生産の中心地で、常時3万人もの奴隷たちが働かされていたという。

 

町のMercado(マーケット)で水とビールをたくさん買い出し、CASAに戻る。ここに泊まる楽しみのひとつが夕食だ。レンズ豆のスープ・鶏の煮込み・アボカドときゅうりのサラダ・焼きバナナ・ライス・フルーツミックス。どれも実に美味しい。昨晩はずっとバスの車中泊だったので、早めに休むことにする。

 

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7日目 トリニダー2日目。町のあちこちを歩き、描く。レンタサイクルでビーチへ

7時頃コケコッコーの声で目覚める。見ると隣の家の屋根に立派な鶏がいるではないか。朝食はCASA近くのカフェテリアでコーヒーとサンドイッチ。キューバでは立ち飲み・立ち食いの店を総称して「カフェテリア」と呼ぶが、普通に屋内にあるものもあれば、屋台式のものもある。

 

まず向かったのは町の北にある革命博物館周辺。塔がひときわ目立つ建物だ。8時過ぎなので朝の太陽が爽やかだ。ここは昔は修道院だったとか。

 

博物館の向かいは小学校だ。ドアが開いていて授業風景が見える。キューバの学校は制服で、小学生は白と赤、中学生は白とブラウン、高校生は水色だ。教室にはゲバラの写真がかかっている。

 

坂を登っていくと、道路も舗装されていないエリアに出る。このあたりからは町を一望でき、遠くに海も見える。描いていると年配の女性が話しかけてきた。「あんた昨年も来て描いていたね」そう言って金を無心してきたので1ペソを渡す。

 

町の中心のほうまで移動すると、途中に馬がいる廃教会があったのでスケッチ。サンターナ教会というらしい。教会は完全に朽ちていて、雑草があたり一面に生えてしまっている。

 

廃教会から南西に進み、グティエレス通りに出る。ここは人通りも多く、カフェテリアが何軒か集まっているエリアだ。ちょうどBatido(シェイク)を売る店を見つけたので注文。バナナ味で最高に美味い。

 

セスペデス公園まで来たのでWi-Fiにつなぎインターネット。ここはトリニダーでも数少ないWi-Fiスポットだ。ちょうど昼を過ぎていたので、すぐ近くあるかなり行列のできているピザ屋に並んで食べることにする。

 

キューバのピザ屋はどう見ても普通の家の玄関だったりする。人気店にもかかわらず一人でやっているので、焼き上がるまで10分ほどかかる。待っているあいだは家の中を観察。ここにもフィデル・カストロの写真が飾られている。厚紙に乗せてわたされたピザは火傷するほど熱いが、なかなか美味である。

 

12時半ころ。下校途中の小学生を多く見かける。小学生たちも昼休みで一旦家に戻るのだろうか。女の子たちに人気なのはやはりピンクのキャラクターもののカバンのようである。

 

 海の方にいってみようと思い、レンタサイクル屋で自転車を借りる。1日で5cuc。盗難防止のためか、借りるときは宿泊先のCASAの住所などを訊かれる。ブレーキもあまり効かずサドルも硬いが、まさかキューバで自転車に乗れるとは思わなかった。

 

昨年はリゾート地のアンコン・ビーチまで行ったので、今年は庶民派のボカ・ビーチへ行くことに。町から約10キロ。一本道だが上り坂が続いたりとけっこうきつい。途中草原などをスケッチ。大きなハゲワシが犬?の死体をついばんでいたりと、普段見慣れない情景が続く。たどり着いたボカ・ビーチは乗馬を楽しむキューバ人がいるくらいで特に絵になるところでもなく、15分ほどでトリニダーに戻ってきてしまった。

 

自転車を返却し、CASAに戻る。北の方の町外れで再びロス・インヘニオス渓谷を何枚か描く。子どもたちがまとわりついてくるので、制作もなかなか大変だ。日も暮れ始めたのでCASAに帰り、シャワーと洗濯。夕食は新鮮な魚が手に入ったとかで、白身魚のフライだった。

 

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8日目 トリニダー最終日。歩いて描いての繰り返し。viazulバスでハバナに戻る

CASA近くのカフェテリアでコーヒー。トリニダーとも今日でお別れだ。午後のviazulバスでハバナに戻ることになっている。トリニダー→ハバナは1日3便が走っているが、午後発のいちばん遅い便を予約した。

 

昨日に引き続き、革命博物館のあたりで水彩を描く。しばらくすると馬にのった人が通ったので、画面中央に追加する。途中で新たなものを上書きすることは透明水彩ではあまり適さないが、それよりも対象の魅力を捉えることを優先する。

 

ブラブラと歩いていると、またもや面白い構図に出会ったので描く。クラシックカー・ヤシの木・石畳・海・青い空・・まさにキューバといった光景だ。

 

マヨール広場。ロイヤルパームツリーとコロニアル建築に囲まれ、きれいに整備された公園だ。しかしWi-Fiが飛んでいないので、人の数は少ない。旅行者も地元民も、みなWi-Fi電波を拾えるセスペデス公園のほうに行ってしまうのだろう。

 

途中、食べごろのマンゴーが売っていたので1個買う。約40円。昨年も買って食べたが、驚くほど甘くて美味しかった。ハバナに持って帰り、あちらで冷やしていただくことにしよう。

 

そうこうしているうちにバスの時間が近づいてきた。CASAに戻ってシャワーを使い、荷造りをしてマルガリータに支払いを済ませる。例によってバスステーションのあたりで呼び込みに余念がないスレイカにお別れの挨拶「また来年かな?」。上の写真でずらっと並んでいるのがCASAの呼び込み集団。

 

カウンターでチェックイン。viazulのバスも今回4回目だが、これで最後だ。紛失したりしないよう祈りながらバックパックを預ける。ふと見ると壁にはカストロの写真が。「フィデル司令官よ永遠に」

 

viazulのバスは車内が異常に冷えることで有名だが、今回は今まででいちばん寒かった。普段はTシャツ&ショートパンツだが、このバスに乗るときだけは長ズボンにフリースを着る。窓の外には鮮やかな夕焼けが。

 

6時間ほど走って、夜8時半にバスはハバナに到着。CASAのある旧市街まではタクシーで20分ほどの距離だが、たまには歩いてみよう!と思いたち、Googleマップを頼りに歩き始めた。後に後悔することになる。

 

1時間ほど歩いてようやく半分ほどの距離。あきらめてタクシーを拾おうと思ってもこの辺は一台も走っていない。途中のカフェテリアで夕食。豆ライスと鶏むね肉のソテー、焼きバナナときゅうり。Maybeという見たことのないキューバビールがあったので飲んでみる。

 

歩くこと2時間弱、旧国会議事堂を過ぎ、ようやく見慣れた旧市街までやってきた。夜の11時近いが、路上には人が多く、卓を囲んでドミノをやったりしている。イリアナのCASAに帰り着くとシャワーを浴びてさっさと寝た。

 

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9日目 数日ぶりのハバナ。街・海・人・太陽・・やっぱり描きどころはたくさん

朝は家主のイリアナに朝食を作ってもらう。スクランブルエッグ・野菜炒め・パン・チーズ・バナナ・コーヒー・グアバジュース。その後バルコニーから水彩を描く。左側を向くと街の中心のほうだ。

 

右を向くとハバナ湾が見える。建物には色とりどりの洗濯物が。描いているうちに太陽はどんどん動き、影の形も変化していく。昼前になるとイリアナがコーヒーを淹れてくれる。

 

セントロ・アバーナ地区へでかける。2日目に発見したジュース屋でパイナップルシェイク。この店はいつも行列だ。キューバでも行列の出来ている店はたいてい美味しい。

 

インダストリア通りで壁を描く。洗濯物やバルコニーの影が建物に伸びていて、その様子が魅力的だ。クラシックカーもいい具合に駐車してあった。

 

マレコン通りに出て、外洋をモロ要塞を入れて描く。最初に訪れたときは少し曇っていたが、晴れていると海の色も驚きの鮮やかさだ。

 

そういえば海なのに何か足らないと思ったら、カモメや海鳥がいない。そのかわりか、見上げると大きな猛禽類がゆったりと旋回していた。羽を広げると人間と同じくらいのサイズではないだろうか。

 

いい構図を求め、引き続きセントロ・アバーナ地区を歩く。途中面白そうな場所があれば入ってみる。ここは屋内青果市場で、あらゆる野菜が所狭しと積み重ねられている。並べかたもじつにワイルドだ。

 

かなり古びてはいるが、生花店を発見。奥のほうでおにいさんが二人で作業している。ブーケでも作っているのだろうか。

 

あっという間に午後4時をまわってしまう。いったんCASAに戻り、シャワーと洗濯。トリニダーで買ってあったマンゴーを冷蔵庫から出して食べる。まろやかな果肉は強烈に甘く、香りも強い。これはもう反則の美味さである。

 

午後6時前に渡し船でレグラ地区へ。サンテリア教会の前からハバナ湾を描く。サンテリア教会とは、奴隷として連れてこられた人々が信仰していた西アフリカの民族信仰とキリスト教が合わさったもの。描いているとなにやらグッズ売りの女性が早口でいろいろ喋りかけてくる。空の色が違うとか言っているようだ。言われてみると確かにそのような気もする。しばらくすると売り物のサンテリアのキーホルダーをくれた。

 

ハバナ湾と旧市街、その向こうに沈んでいく太陽。太陽の色は刻一刻と変化していく。日本に帰ったら油彩にしてみようかなどと考えながら、再び渡し船でビエハ地区に戻る。

 

夜は近くの「El Cubanito」で食事。10歳くらいの子供がひとりで食べている姿は、日本ではちょっと見かけない。店主と少し話をする。「今晩が最後。明日キューバを発つんだ」「そうか、俺も明日の飛行機でマイアミだ。また来年(アニョ プロキシモ)だろ?」「そうかもね」

 

10時ころCASAに戻る。窓の外はまだまだ賑やかだ。描いた水彩を見返したり、スマホの写真の整理をしていたら眠くなってくる。明日は最後の一日だ。

 

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10日目 キューバ最終日。ギリギリまで歩いて描く。名残を惜しんでパリへ戻る

今日が最後の1日。夕方5時にはタクシーで空港に向かわなくてはならない。朝食をいただいてから街へ。宿近くのルス通りからベレン修道院跡を描く。塔にヤシの木の影が出来ていて、面白い。

 

普段の制作の道具は、透明水彩絵の具10色ほど・筆と筆入れ・筆洗容器・水彩紙ブック・ペーパーパレット・コンテとペン類・ボロ布・折りたたみ椅子。

 

よく見かける自転車タクシー。「タクシーアミーゴ?」とうるさく声をかけてくる。短距離なら乗ってみようと思いながらも結局1回も乗らなかった。

 

クリスト広場でインターネット。ハバナにはWi-Fiスポットが多く、大きな公園やホテルの近くでスマホを手にしてじっとしている人が大勢いたら、そこはWi-Fi電波が飛んでいる証拠。しかしこの構図、日本だったらポケモンGOだ。

 

セントロ・アバーナ地区のエスコバル通りへ。車がガンガン通るのでハバナで道路の中央に座って絵を描くことはまず無理だが、ちょうど道路工事で通行止めだったので、ここぞとばかりに真ん中に座って制作した。シンメトリーの構図が作れる。

 

そのまま真っすぐ進み、マレコン通りに出る。昨日は右側のモロ要塞方面を描いたので、今日は左側を見て描くことにする。

 

マレコン通りにいた中学生の集団。修学旅行かなにかでハバナに来ているようだ。スマホを向けるとすぐにポーズをとるあたりが実にキューバ人だ。

 

午後になり、フライドチキンとバナナチップスの昼食。その後渡し船でカサブランカ地区へ渡る。渡し船は20分間隔くらいでハバナのビエハ地区とレグラ地区・カサブランカ地区を結んでいる。乗るときは一応の荷物検査があり、係員に1ペソほど渡す必要がある。

 

船は7分ほどでカサブランカ地区に着く。船を降りてすぐの広場で生ビール屋台を発見。1杯は10ペソ40円で、市販のものとくらべると苦味が強く、癖のある面白い味だった。

 

カサブランカ地区の坂道を登っていき、キリスト像のあたりまで出る。ハバナ湾には大型客船カーニバル・パラダイス号の姿が。昨年も停泊していたから、毎年この時期にはハバナに来ているのかもしれない。急にどす黒い雲が空を覆いだしていて、これはスコールになりそうだ。

 

対岸の旧市街とカピトリオを描く。午後4時前となり、空港に行く時間まであと1時間ちょっと。これが最後の1枚になりそうだ。描き終えると待っていてくれたかのように雨が降り出した。

 

渡し船でビエハ地区に戻り、近くにあるサン・ホセ民芸品店で小さな太鼓や鍋敷きを買ってCASAに戻る。急いで出発の荷造りとシャワーを済ませ、家主のイリアナとお別れをして呼んでいたタクシーに乗り込む。

 

タクシーは古いシボレー。見た目はいいが、乗り心地はガタゴトとかなり悪い。空港までの道すがら運転手はいろいろ話しかけてくる。「今ここには巨大なマーケットを建造中なんだ。ハバナで一番大きいハイパーマーケットなんだ」。なんだかんだ言ってキューバも変わっていくのだろう。

 

30分ほどで空港に到着。昨年と違ってフライトも遅れたりはなさそうだ。荷物検査やパスポートコントロールを通り搭乗ゲートまで行く。ふと見ると「El Cubanito」の店主の姿が。そういえばマイアミに行くと言っていた。キューバ人にとってマイアミはアメリカというより第2のハバナなのかもしれない。少し話をして、握手をして別れた。

 

定刻通り飛行機はパリへと向かう。機内では「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」などを観ながら、ときおり旅のことを思い返す。目的も果たせたし、大きなトラブルにも出くわすこともなかった。今回もよく歩いてよく描いた10日間だった。

 

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