2017年の8月から9月にかけてキューバを訪れた。2016年の同時期に続いて2度目の滞在だ。前回の取材では捉えきれなかったものを再び見つめ、画面におさめたい、という気持ちから再訪することにした。
1日目 パリからハバナに到着 − 暑さも匂いも音も何もかもが違う
一人旅で、持ち物は画材、着替え少々(この時期は暑いのでTシャツや短パンなど最小限)、タオル類、EVA製サンダル、スマホや充電器・モバイルバッテリー、蚊がいなくなるスプレーなど。すべてバックパックに詰めて10kgほど。
画材は前回同様、透明水彩・ガッシュ少々、筆、コンテ、ペン、厚手水彩紙各サイズ、紙パレット、カッターナイフ、クリップ、ボロ布を持参した。
キューバへは滞在先のパリからエールフランスの直行便で向かった。ド・ゴール空港の搭乗ゲート、「行き先−ハバナ」の文字に胸が躍る。
ヨーロッパからのフライト時間は約10時間だ。珍しく(?)遅延もなく、夕方5時過ぎにハバナのホセ・マルティ空港に到着。実に愛想のない空港。入国時のパスポートコントロールや荷物検査が厳重でずいぶんと時間がかかった。
キューバは二重通貨制だ。両替所でユーロをCUC(外国人向け通貨)に両替し、さらにそのCUCをCUP(人民ペソ)に替えてもらう。その後TAXIでハバナ中心部へ向かった。
滞在先は旧市街ビエハ地区にあるイリアナさんのアパート(Casa Ileana)。キューバではホテル以外にカーサ・パルティクル(個人の家)という民泊システムが広まっており、ここは前回一泊してとても気に入ってたので今回もお世話になることに。大家のイリアナさんは近くの自宅に住んでいるので、一般のホテル同様、ここは完全に自分だけの空間だ。室内は広く、バルコニーからは通りが見下ろせる。エアコンも冷蔵庫もついていて一泊25CUC(2,800円ほど)。今回はAirbnb経由で予約した。
イリアナさんと滞在予定のことなど少し話をする。こちらはスペイン語がダメであちらは英語がダメなので、コミニュケーションには苦労する。
カギを受け取って、お別れを言い。街なかに出かけることに。日本の夏と同じくらいの高温多湿さに加えて排気ガスとゴミの匂いが溢れ、それまで滞在していた欧州とのあまりの違いに驚く。道路は凸凹だらけで建物もところどころ崩れたりしている。しかしその佇まい、存在感はハッとするほど美しい。
しばらく歩く。日が傾いてきても、通りは喧騒であふれている。近くのカフェテリア「El Cubanito」で夕食。200円ほど。
キューバでは野球に劣らず、サッカー人気も高い。少年たちはよく路上でボールを蹴っている。
外はすっかり暗くなっている。夜の街を散策し、ビールを数本買って22時ころCASAに戻った。
2日目 ハバナ旧市街を散策① − あっという間に一日が過ぎる
時差ボケもなく、朝7時ころ起床。シャワーと洗濯を済ませる。日本から持ってきた蚊がいなくなるスプレーのおかげで蚊に悩まされることもなく熟睡できた(昨年は悩まされた)。
バルコニーに出て眺めると、右手にはハバナ湾が望める。
CASAの前の家でコーヒーが頼めることがわかった。立ち飲みで約5円だが、濃く甘く美味しい。キューバでは個人宅の窓が少し開いていて、そこでコーヒーや食べ物を売っていることがある。
街を散策し、オビスポ通りの両替所で10CUCを人民ペソ(CUP)に両替し、近くのETECSA(電話会社)でWi-Fiカードを買いネットに少し繋ぐ。どちらにも行列が出来ており、15~30分ほど待たされるが、これはこの国では当たり前のことのようだ。
街のなかで良い構図に出会うとスケッチブックを広げて水彩を描く。不思議とキューバ人は見て見ぬふりで寄っては来ない。モロッコとはこのへんが少し違う。社会主義国家だからだろうか。
昼食は食堂でフライドチキン・サフランライス・バナナチップス・野菜のセット。ここの食堂はこのメニュー1品のみ。ビールをつけると300円ほどになる。支払いは人民ペソで、観光客向きではなく地元の人々が多く集まる。他にもジュース売り場やサンドイッチ売り場などがある。
隣で食べていた家族。お母さんの笑顔がジェームズ・ブラウンに似ているなあ。
曇ったり晴れたりの天気だが、湿気が多く非常に暑く汗をかくので、何度かCASAに戻りシャワーを浴びてすっきりする必要がある。
部屋の窓からも水彩を描く。
よく走っている人力TAXI。目が合うと「アミーゴ、タクシー?」とうるさく声をかけてくる。バッテリーとスピーカーを積んで大音量で音楽を流しているのも多い。その場合かけているのはソンやティンバではなく、100%がレゲトン(Cubaton)である。
よく歩いたらあっという間に夜になってしまった。夕食はパンを買って食べ歩き、CASAに戻った。
3日目 ハバナ旧市街を散策② − 海、対岸、動物園、スコール
7時過ぎに起きると外は快晴だ。コーヒー立ち飲みのあと、オビスポ通りの食堂でホットドッグとグアバジュース。
よく見かけるカフェテリアの情景。ここはフライパンで卵を焼いてくれる。
湾沿いのプンタ要塞近くのプエルト通りでモロ要塞やクラシックカーや海景をスケッチ。約400年前、統治していたスペインはこの二つの要塞に太い鎖を繋げて英国やフランスの海賊船を退けたという。
そのハバナ湾にはちょうど大型客船カーニバル・パラダイス号が来ていた。
昨年はあまり関心を持たなかったクラシックカーだが、今年はよく目が行った。1957年製ダッジ(DODGE)カスタムロワイヤル。
渡し船ターミナルに行き、湾の東側カサブランカ方面へ渡ろうと乗り込んだら間違って南のレグラ方面行きの船に乗ってしまう。ゲバラ邸や要塞のあるカサブランカ地区と違い、レグラ地区はどちらかというと住宅街だ。ただオールド・ハバナよりも人が少ないので、絵は描きやすい。建物もせいぜい2階建てと背が低く、空もよく見える。歩いている観光客の姿は皆無だ。すっきりと晴れた中、水彩数点を描く。
水彩絵具も紙の上であっという間に乾いてしまう。
青果店を見かけると時おり入ってみて、バナナなど色々食べてみた。
その後渡し船で中心部に戻り、昼食の後CASAに帰ってシャワーと洗濯。明日のトリニダー行きのバスを予約するべく、中心部から30分くらいの新市街にある高速バスVIAZULのターミナルに向かう。あらかじめ「月曜/トリニダー/行く、水曜/ハバナ/戻る」とスペイン語で紙に書いておき、カウンターで見せると問題なく切符を予約できた。
予約後、せっかく新市街に来たのだからと近所を散策することに。バスターミナルの向かいに動物園があったので入ってみる。入園料は3ペソ約15円。大勢のキューバ人で賑わっている。ライオンやヒョウなどもいてなかなか大規模な動物園だった。植物の迫力もすごく、ジャングルにいるような気分にもさせられる。上空には猛禽類(トビ?)がたくさん旋回していた。どうせ飛ぶなら動物園の近くのほうが気持ちいいのだろうか。
その後中心部に戻ろうと市バスを待っていたら突然のスコール。20数人とバス停脇の軒下で雨宿りするはめになった。約1時間ほども降り続いただろうか。キューバ人はとくに焦ったりせず、のんびりと雨が弱まるのを待っている。しかし道はまるで川のようになってしまい、ようやく来たバスも超満員で乗れず、結局乗り合いタクシーでCASAに戻った。
4日目 トリニダーの町① − 長距離バスで世界遺産の町へ
7:30起床。近くでサンドイッチの朝食。窓から水彩を描いたあと、VIAZULのバスターミナルへ。定刻通り10:45にハバナを出発し、トリニダー(Trinidad)へと向かう6時間ほどのバス旅だ。以前は中国で使われていた車体だろうか、「中国宇通」と書かれている。車内は冷房が効いていて快適だ。乗客はほぼ観光客。13時ころトイレ休憩のため街道沿いのカフェテリアで20分ほど休憩。右側の席に座ったため、窓からはエメラルドグリーンの海がときどき見える。途中シエンフエゴスの街などで乗り降りしつつ、終点のトリニダーには17時ころ着いた。
バスを降りて荷持を受け取り、バスターミナルの出口に向かうと、待ち受けるのは宿(CASA)やタクシーの客引きである。20人ほどが「ウチに泊まれ!」「タクシー必要?」などと猛アタックをしてくる。その集団の中に昨年も勧誘され宿泊したスレイカさんの姿を発見する。話しかけてみると向こうも憶えていてくれて、当然のように今年も彼女のCASAに泊まることになった。
待ち受ける勧誘集団。写真中央、黒っぽい服の女性がスレイカさん。
スレイカさんの家(Casa Margarita y Zuleika)はトリニダーの中心地から10分ほど北に行ったところにある。ハバナのイリアナさんのCASAと違い、1階にスレイカさん家族が住んでおり、客は2階を使わせてもらうことになる。日本からの宿泊客も多いらしく、1階の壁には日本の国旗がかかっていた。食事はオプションだが、昨年作ってもらった夕食が美味しかったので、今年もお願いすることにした。
部屋の中。パンダとライオン。冷蔵庫やエアコンもついている。食事付きで一泊30CUC。シャワーは水しか出ないが、この季節は気温が高いので許せる範囲。
通りの左側、ピンク色の家が今回のCASA。
鍵を受け取り少し世間話をしたあと、夕方6時を回ったので出かけることに。ハバナに比べると建物がせいぜい2階建てと低く、坂が多く起伏に富んでおり、絵の対象としてはかなり魅力的なところだ。
トリニダーは今から約500年前にスペイン人ディエゴ・ベラスケス(バロック画家とは別人)によって造られた町だ。
奥の方に歩いていくと世界遺産ロス・インヘニオス渓谷と山脈が見渡せる。このあたりはまだ道路もまだ舗装されていなかった。馬に乗っている人も多く見かける。
CASAの前の路上でドミノに興じる人々。キューバでは道端で卓を囲んでいる光景をよく見かける。賭けているのだろうか、時おり怒号も飛んだりしていて、遊んでいるとけっこう熱くなったりもするようだ。
しばらく歩き回り、日も落ちてきたのでセスペデス公園近くの食料品店でビールと水を買い込みCASAに戻った。
夕食はチキンとじゃがいもの煮込みとレンズ豆のスープ、トマトとアボカドのサラダ、ライス、フルーツ(マンゴー、パパイヤ、スイカ)だ。味は文句なくキューバに着いてから食べたものの中で一番美味しかった。
窓からの情景。0時近くになってもドミノの戦いは続いている。
5日目 トリニダーの町② − 日差しの中、歩きまわり、描く
7時過ぎ起床。シャワーと洗濯の後、朝食はCASA近くでコーヒーとハムサンドの立ち食い。
小さなカフェテリア。コーヒーは5円、ハムサンドは50円ほど。
すっきり晴れて日差しが強いなか、水彩・素描を数点。トリニダーの町はハバナに比べ固有色が強く、逆に絵にするのは難しい。
昼はハムとチーズのピザ。その後中心地のセスペデス公園近くの銀行でユーロをCUCに両替し、Wi-Fiに繋いでインターネット。キューバでWi-Fi電波が拾える場所は限られているが、そういう場所では大勢のキューバ人や観光客がスマホをいじっているので、「ここWi-Fi飛んでるな」とすぐにわかる。
スマホで何かを調べる人たち。このポーズの人が何人かいたらそこはWi-Fiが飛んでいる証拠。電波は有名ホテルやレストラン近くでキャッチできることが多い。
その後、南の海方面に行こうとするもバスを逃し、結局TAXIで。アンコンビーチはキューバでも有名なリゾートだが、クリーンすぎて絵の題材には向かなかった。その後、近くのカシルダ(Casilda)の港町に寄ってからトリニダーに戻った。
アンコンビーチ(Playa Ancón)。砂はサラサラで気持ちいいし海の色は文句なしだが、実際にその場に立ってみると絵の対象としては興味は湧かなかった。
大きなマンゴーを買ってCASAに戻り、シャワーと洗濯。この時点で夕方5時ころに。小休憩の後、マヨール広場のあたりに歩いて行く。このあたりは歴史博物館や革命博物館が並んでいるが昨年訪れたので今回はパスし、周辺で水彩を数点。描いていると子供はたくさん寄ってくる。
少しシャイな子どもたち。兄弟だろうか。描いていてもあまり話しかけてこず、静かに制作を見守っていてくれた。
逆にこの子はやんちゃ坊主だった。家の中から椅子まで持ってきて、何かをずっと話しかけてきていた。
町を眺望できそうな坂があるので登っていくと、自宅の前の誰も来ないような草むらで名産の刺繍製品とお土産を広げて売っている人がいる。こんなところお客は来るのだろうか?と思いながら、マラカスをひとつ買った。
疲れ果てて夜の7時ころCASAに戻る。いつものドミノ集団や道行く人を眺めながらバルコニーでビール。8時ころ例によって美味しい夕食を頂いたが、町全体が停電に見舞われ、真っ暗ななか携帯LEDを点けてのディナーとなった。昼間に買ってきたマンゴーはものすごく甘くジューシーだった。
6日目 トリニダーの町③ − 名残を惜しみつつ、ハバナに戻る
7時ころ起床。今日はハバナに戻る日だが、もう1日トリニダー滞在を延ばしたいと考え、VIAZULのバス営業所で翌日の便に振り替えてもらおうと頼んでみる。残念ながら満席でそれは叶わず、他のバスや乗り合いタクシーも考えたが、やはり当初の予定通りハバナに戻ることにした。
14:30のバスの出発時間まで時間はある。昨日に引き続きマヨール広場周辺で水彩を描く。
地べたに座って制作するので、エールフランスの機内から失敬してきたマクラがクッション替わりになって助かった。
気温は33℃ほど。直射日光の中で描くのはなるべく避けたいので、日陰からいい構図が望めそうな場所を探すのも大切なポイントだ。
4枚ほど描いて今回のトリニダーでの制作は終了とする。正午をまわり、一旦CASAに戻る途中に立ち食いのピザを注文する。
ピザ屋の厨房(?)。どう見ても普通の家の玄関だ。扉が開いていて、その中で焼いている。閉まっている時間帯も多いので不定期開店のようだ。小型の釜の前で調理しているお兄さんは汗びっしょり。少し待たされるが、美味しかった。
こう見えて葉巻売りと新聞売りとミニバナナ売りの3人。前を通るたびに話しかけてくる。
マヨール広場近くで演奏しているキューバン・ソンのグループ。この手のグループの演奏はあちこちで耳にしたが、とても4〜5人で演奏してるとは思えないほど音が複雑で分厚く感じる。
出発時間が近づいてきたのでCASAに戻り、シャワーを浴び荷物をまとめる。1階で鍵を返し、宿代の支払を済ませてお別れを言い、バスターミナルへ向かう。
ターミナルは観光客でいっぱいだ。朝の便がハバナからトリニダーに着いてツーリストをどっと降ろし、逆にそのバスに乗ってハバナに戻る。
バスターミナルにはVIAZULのような長距離バスだけではなく、普通のローカルな路線も乗り入れている。トリニダーは人気が高い町なので、キューバ国内からも観光客は多いのだろう。
定刻通り、14:30にバスはハバナに向けて出発する。冷房のきいた車内が日焼けした身体に心地よい。時々バスが停留所でもないところで止まるので見ていると、運転手が道ばたに立って手を上げている人を(善意で?)乗せてあげている。何キロか走るとその人は降りていくので、どうやら短いヒッチハイクのようなものだ。キューバではバスだけでなく、荷台の空いているトラックや馬車なども時々似たようなことをしているのを見かける。鷹揚というか何というか・・・
予定より早く、夜9時前にハバナに到着。同じバスに乗っていた数人と乗り合いタクシーで旧市街へ向かう。イリアナさんのCASA前で降り、荷物を置いて近くのカフェテリア「El Cubanito」で夕食を食べた。
カレーっぽく見えるが、左のはレンズ豆のスープ。
7日目 ハバナ旧市街散策③ − ポイントを絞り、じっくり取材
8時前に起床。シャワーと洗濯。ハバナのCASAはお湯も出るし水圧が高くて嬉しい。オビスポ通りの食堂でチキンサンド。美味しくて思わずもう1個いただく。
ここは他にもホットドッグ、カツサンドなどが売られている。
賑やかなオビスポ通りを東に歩いて行く。途中ホテル・フロリダ周辺でWi-Fiに繋いでインターネット。そのままハバナ湾に出て少し南下し、渡し船乗り場から対岸のカサブランカ方面へ。
渡し船の中。混んでいる時はぎゅうぎゅう詰めになることも。旅行者はたいてい窓から外を眺めるが、乗り慣れている地元の人たちも、海をじっと見つめている人が多いのは面白い。
カサブランカ地区。住宅街の隙間の細い坂を上へ上へと登っていくと少し見晴らしの良い場所に出る。ちょうど外海に出ていた大型客船カーニバル・パラダイス号が湾内に戻ってきたところだった。
この日も日差しが強く、歩いたり描いたりしているとすぐに汗をかく。住宅街を歩いていると「アミーゴ!アミーゴ!」と開けっ放しの扉の中から何度も声をかけてくる家があったので覗いてみると、中に入ってこいと言う。おずおずと玄関から入ってみると、テレビで野球を観ていたお兄さんが「暑いだろう」と氷いっぱいの水をくれた。持ち歩いているペットボトルはすっかり温水になっているので、これには感謝。ソファに腰掛けて少し休憩させてもらう。「どこから来た?チーノ?ハポン?」「ハポン(日本)です」「キューバは初めて?」「いえセグンド(2回目)です」・・残念ながら語彙の問題でそれ以上は会話は進まない。
キリスト像のほうに歩いていくと「アゥワデココ〜」とココナッツジュースの路上販売が。牛刀で椰子の実を割ってストローを差し、中のジュースを飲ませてくれる。最後は中の実も砕いて食べる。
ハバナの眺望。遠目でも手前のプエルト通りを走る色とりどりのクラシックカーが見て取れて面白い。すぐ近くには第1チェ・ゲバラ邸があるが昨年訪れたので今回はパス。
昼を回ったので渡し船で中心部に戻り、食堂でフライドチキンとライス。右足の甲を少し痛めたので絆創膏を買おうと思い薬局へ。
テニエンテ・レイ通りの薬局。スマホにダウンロードしておいた絆創膏の画像を見せて「これある?」と頼んでみたが売っていなかった。何軒か回ったが結果は同じ。もともと薬局には売っていないのか、在庫切れなのか。ものがないキューバ。諦めて一旦CASAへ戻り、シャワーと洗濯をすませ、今度は再び渡し船に乗ってレグラ方面へ。
人も少なく、落ち着いた雰囲気のレグラ(Regla)地区。建物の背が低くていい感じだ。この手の構図に惹かれるようになった要因のひとつが、昔観た映画「羊たちの沈黙」の印象的なラスト、レクター博士が歩み去るシーンにあるのだが、けっこう感じが似ているのではないだろうか。
こちらは映画からのカット。撮影されたのはキューバの300キロ北にあるバハマのビミニ諸島だ。
水彩を何枚か描いていたが、遠くでサッカーをしていた子どもたちが目ざとく集まってきて、結局取り囲まれてしまった。こうなってはもう続きは描けない。
最終日 ハバナ旧市街散策④ − 制作後は少し観光→パリへの帰路へ
7時起床。早いものでキューバ滞在も今日で最終日だ。電話でお願いし、大家のイリアナさんに朝食を作ってもらう。フルーツ各種・アボカドときゅうり・パン・卵焼き・焼きバナナ。慣れないスペイン語で少し話をする。フライトは夜の10時30分だが、次の宿泊客はいないので、CASAを出る20時くらいまで使わせてもらうことになった。イリアナさんはハバナ大学で心理学の博士課程を修了したマスターで、現在は本を執筆しているという。
しばらく近所を歩き、アコスタ通りの木陰で水彩2点。その後は午前中のレグラ地区が描きたいと思い、渡し船に乗って移動する。
今日もカーニバル・パラダイス号が停泊している。手前には貝でも採っているのだろうか、潜っている人たちがいた。
以前は路面電車が走っていたと思しき線路の跡がある。
ほぼ碁盤の目状のハバナ中心部と違って、レグラ地区は道が曲がっていたり二股に別れていたり坂があったりと変化に富んでいて面白い。
水彩を数点描いたところで午後2時になったので船で中心部に戻ることに。食堂でフライドチキンとライス定食→CASAに戻りシャワー。その後、水彩の道具は置いて小さなスケッチブックだけを持って外出。最後に少し観光をしよう。
サン・ホセ民芸品市場に寄ってみる。広大な屋内市場にたくさんのブースがひしめき、絵画・楽器・Tシャツ・革製品など多くの民芸品が売られている。鍋敷きとクラベス(拍子木)を買った。店のお兄さんはソフトバンク・ホークスのデスパイネの友人だとか。
右がクラベス。非常に固い木で出来ており、打ち合わせることで響きのいい音を出すことができる。ラテン音楽のリズムの根幹をなす楽器。左の鍋敷きは寄木細工だ。
ビエハ広場のFactoria Plaza Viejaで生ビールを飲む。ここは店内で醸造したビールが飲めるビアレストランだ。
プエルト通りでクラシックカーをデッサンしているとオーナーが寄ってきた。自慢の一台、デソート(DeSoto)。1959年製だということだ。その年にキューバ革命が終わったので、それ以降作られたアメリカ車は基本的に走っていない。
ジョルジ・ベンの”Mas que nada”を高速でルンバっぽく演奏している。最初は店内でやっていたが、あまりに盛り上がってくると通りに出てきてドンチャカやっていた。
夜7時を回ったのでCASAに戻り、シャワーを浴び出発の準備を済ませる。大家のイリアナさんに鍵を返し、タクシーを呼んでもらいホセ・マルティ空港へ向かう。空港に着くとパリへ向かうエールフランスのチェックインカウンターには長蛇の列が出来ており、ほとんど動かない。いやな予感がよぎる。案の定フライトは3時間近くも遅延し、結局夜中の1時過ぎにようやく飛び立った。
飛行機に乗ると緊張が解けたのか、疲れがどっと押し寄せてきた。日差しの中、夢中で歩き、描いた8日間だった。
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